その49「季節を感じながら自分を整える時間」

こんにちは。花祭窯おかみ・ふじゆりです。

茶道に入門して10年ほどになります。読者の皆さんのなかにも、お茶を習ったり、既に茶道教授のお免状をお持ちの方々もいらっしゃるかもしれませんね。

わたしが入門しているのは、福岡・博多の禅寺に伝わる「南方流」という流派です。月2回のお稽古で、年月は確実に経過していますが、そのわりに所作が身に付いておりません。

とはいえ、身に着けようと日々努力をしているかと問われれば、そうではなく、これはもう「自分がどれだけ積み重ねることが出来たか」の結果だと、観念しています。「今日のお点前は、我ながら良かった!」と思える日が、果たしていつか来るものやら。

わたしにとってお茶のお稽古の時間は、「季節を感じながら自分を整える時間」です。露地(お茶室の庭)の景色が変わってくると、お茶室の設えが変わり、設えが変わると作法も変わります。

そんな変化を楽しみつつ、他のことをすべて頭から追い出すのが、お稽古の時間。頭のなかを空白にするほど、身体がスムーズに動きます。と書くと格好いいですが、実態はそのように上手くは行きません。忘れ、間違え、赤面し、の繰り返し。

先日のお稽古でのこと、ひと通りお点前を終えた後に、先生から「全体には良くできていますから、あとは、一つ一つの所作に、もう0.5秒ゆっくりかける気持ちでやってごらんなさい」とご助言をいただきました。

その日はお茶室の設えが、炉(秋冬用)から風炉(春夏用)へと変わった初日。ただでさえ心もとないお点前に、変化に対する焦りが加わり、あたふたしておりました。せっかちで雑な性格が所作に出ますね…と反省したところ、「お茶のお稽古の時だけでなく、ふだんの生活から、一つ一つの動きに0.5秒余分に時間をかけてごらんなさい。そうすると動きが優雅になりますよ」と。

お茶室でだけ意識をしても、結局は常日頃の動き方(生き方)が所作に現れるということですね。先生が、お点前のお稽古の時だけでなく、ふだんから気にかけて見守ってくださっていることがわかる、有難いアドバイスでした。

半世紀生きてきての、動きや思考の癖ですから、一朝一夕には変えることは難しいでしょう。ここからさらに半世紀かけて、「0.5秒ゆっくり」が習慣になり、気がついたら自然と所作が優雅になっている!なんて状態を目指して行きたいものです。


<日常の禅語>天上天下 唯我独尊(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)

わたくしごとですが、うちの屋号「花祭窯」の名は、創業地の通称地名「花祭」からいただいたものです。

「はなまつりがまです」というと、「おめでたい名前ですね」とおっしゃっていただくことが多く、それは「花祭り」がお釈迦様の誕生日のことだから。4月8日は仏教の開祖・お釈迦様が誕生したとされる日で、そのお祝い行事のことを「花祭り」とか「灌仏会(かんぶつえ)」と呼びます。

実は窯を開いたときにはその意味を知らず、単純に地名にあやかったのでしたが、つくづく良い名前を頂いたと思います。おかげさまで、この日は毎年なんとなくお祝い気分になります。

そのお釈迦様は、誕生のときに「天上天下 唯我独尊(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)」とおっしゃった、と語り継がれています。この話を聞いたとき、まず「生まれてすぐにしゃべることができたのか?」という驚きがあり、「それはどういう意味なのか?」と疑問が湧いたのはその次でした。

文字のままに読むと「この世界に、わたしだけがただ一人、尊い存在である」というほどの意味になります。生まれてすぐに「わたしだけが尊い」と気づいたというのは、すごいことですね。それ以前に、そもそも生まれてすぐにしゃべるというのが、普通の人間ならば無理な話。つまりこの逸話には、「お釈迦様は比類無き偉大な存在である」という事実(前提)があり、それに加えて「この話を信じようと信じまいと自由」とでもいうスタンスが感じられるのです。

仏教に限らず宗教の逸話には、常識では考えられないものがたくさん語り継がれていますね。そこでは、ほんとうかどうか?は問題ではありません。話の真偽はさておき、「天上天下 唯我独尊」というほどの存在が生まれた花祭りを、これからも楽しみ祝うことができるのは、わたしにとっては嬉しいことです。


花祭窯おかみ・ふじゆり(藤吉有里)

「古伊万里」の名で知られる肥前磁器の伝統工芸文化、技術を基にした窯元「花祭窯」のお内儀。おかみとして窯を支えつつ、自らもアートエデュケーターとしてMeet Me at Artを主宰する。

花祭窯(はなまつりがま)
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