その44「アート・エデュケーターの仕事」

こんにちは。花祭窯おかみ・ふじゆりです。新しい年が皆さまにとって良い年になりますように。本年もよろしくお願い申し上げます。

さて、たまにはあらためて自己紹介。ちょっぴりお付き合いいただけると幸いです。窯元おかみの傍ら、アート・エデュケーターとしても仕事をしています。博物館学芸員の仕事に「教育普及」という分野があり、それを専門とした仕事です。

「美術を通じて、自分自身に出会う」機会を、一人でも多くの方にお届けすることが、アート・エデュケーターとしての仕事です。この仕事に辿り着く動機の根っこは、花祭窯おかみとして入った美術・工芸の世界にありました。

自由な発想が価値を持つはずの美術・芸術の業界でも、自分のモノサシを持たない人がたくさんいることを知ったショック。「やきものが好き、アートが好き」と言いながら、「わたしはこれが好き、(わたしにとっては)これが良いもの」と、自信をもって自分の言葉で言える人がとても少なかったのです。

「自分が良いと思うもの」を評価する素地を養う訓練が、日本に暮らすわたしたちの日常生活には、圧倒的に欠けているのですね。これは単にアート(美術)の問題にとどまらず、生き方全般に関わることだと思いました。正解が無いものに対しても正解を求め、間違えるのを恐れて「自分で決める」ことが出来なくなってしまうのです。

美しいものとはどのようなものか、大切なものは何か、自分自身のモノサシを持ち判断できる人は、他者の評価に惑わされず、人生を豊かに面白くすることが出来ると、わたしは思っています。そのために美術を使って、視野を広げ感性を磨く訓練機会を提供するのが、わたしのアート・エデュケーターとしての仕事です。

実はこうして「日日是好日」のコラムをお届けするのも、アート・エデュケーターとしての仕事哲学につながる活動のひとつ。この機会をいただき、誌面で皆さんにお会いできることに、とても感謝しています。2023年も、皆さまの知的好奇心に触れ、「新しいわたしに出会う」きっかけとなるようなコラムをお届けできるよう、精進してまいります。

<日常の禅語>冨莫大於知足 福莫盛於無禍
(とみはたるをしるよりだいなるはなく ふくはわざわいなきよりさかんなることなし)

江戸時代の禅僧であり、たくさんの書画を遺している仙厓(せんがい)和尚。我が家には仙厓和尚のカレンダーがあります。ある月のカレンダーに、飄々としながらも力強い「冨莫大於知足 福莫盛於無禍」の文字がありました。仙厓和尚の書画は、禅の教えを庶民にも分かりやすく広めるために書かれたものとも言われていますが、いつも、意味を考えるより先に、その書の存在感に感嘆します。

意味は「分相応の富の充足感に気づき、何事も無いことに幸福を感じることがいかに素晴らしいか」(仙厓カレンダーより)というもの。
前半「冨莫大於知足」は、少し前(日日是好日41)にご紹介した「知足(足るを知る)」の教えにつながるもの。後半「福莫盛於無禍」の解説を読んで頭に浮かんだのは、西欧故事(ことわざ)のひとつ「知らせの無いのは良い便り(No news is good news)」でした。何事も無いことを良しとする、発想が似ていると思いませんか?

こんなふうに、禅語の教えに通じるものを仏教文化圏以外の場所から見つけることがときどきあって、そんなときは「同じだ!」となんだか嬉しくなります。古今東西、時代や地域は異なれど、人間には共通する普遍的な性質があるということなのでしょうね。


花祭窯おかみ・ふじゆり(藤吉有里)

「古伊万里」の名で知られる肥前磁器の伝統工芸文化、技術を基にした窯元「花祭窯」のお内儀。おかみとして窯を支えつつ、自らもアートエデュケーターとしてMeet Me at Artを主宰する。

花祭窯(はなまつりがま)
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