その38「月に1本は映画館で映画を観る」

こんにちは。花祭窯おかみ・ふじゆりです。

2022 年も早くも半分。年の初めの決意は続いていますか?かくいうわたくしは、続いているものもあれば頓挫しているものも。続いているのは「月に1本は映画館で映画を観る」。好きなこと、楽しい習慣は継続しやすいものですね。

この新習慣を支えてくれているのが、車で 15 分ほどのところにある最寄り映画館の存在。都市部に住んでいる方には、近くに映画館があるのは当たり前かもしれませんが、地方ではそうとも言いきれない現実があります。シネマコンプレックス(シネコン)でアルバイトをしている近所の子が「みんなが観に来てくれないと、無くなっちゃうんだよね」と言っていたのは、つい最近のことでした。そのシネコンという形態も、毎月足を運ぼうという気持ちをサポートしてくれています。単館系の映画が上映されにくいという点はあるものの、常に洋邦 10 本以上の映画がありますから、映画館に行こうと思い立ったときに「観たいものが全然無い!」ということはありません。「絶対に観たい!」が無くても「ちょっと興味あるかも」を観ることによって、世界が広がるのを実感しています。

今年前半に観たもののなかで心に残ったのは(まだ観た本数自体が少ないですが…)『ベルファスト』。アガサ・クリスティの小説『オリエント急行の殺人』『ナイルに死す』を映画化し、主人公名探偵ポワロ役を演じたケネス・ブラナーの、半自伝的ストーリーです。舞台は 1969 年北アイルランド。突如起こった宗教闘争による町の人々の分断を、9 歳の少年の目線で描いています。この映画は 2020 年コロナ禍下での行動制限を機に脚本を書き上げたということで、背景は異なるものの、先行きの見えない不安と閉塞感が現在の世界の状況と重なり、とても考えさせられました。一方で、当時のファッションや音楽のカッコよさに思わず笑みがこぼれ、人とのつながりの「古き良き時代」に気持ちが温かくなる映画でもありました。

始まったばかりの映画習慣ですが、1本映画を観終わると「次は何があるかな?」と、早くもワクワクしている自分がいます。今年の終わりには「2022 年映画ベスト3」なんて企画で、皆さんにご紹介できるかもしれません。

<日常の禅語>坐禅(ざぜん)
お寺での修行体験として思い浮かぶのは、坐禅、写経あたりでしょうか。坐禅には特に「修行」のイメージがあります。雑念を捨て、精神を集中統一し、瞑想する(そして喝を入れられる!?)。ところが「普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)」で正しい坐禅のあり方を記した道元禅師は、「坐禅は習禅(しゅうぜん)にあらず」と説いています。坐禅だけが修行では無く、坐禅は目的ではないのだから、そこに執着するのは違うよ、というようなことですね。ただ座ることだけではなく、目の前にある生活そのものが修行だと。日常のなかで行う自己観察の方がむしろ大切なのだと。わたしはこの解釈を知ってから、坐禅や瞑想に対するある種の憧れが無くなりました。一所にじっと座って無我の境地に到るのは至難の業であり、そこに到ろうという意図を持つことは本末転倒。現実的に考えても、
坐禅や瞑想のために機会(時間・場所)を作るのは、あまり日常的とは言えないかもしれません。日々目の前にあるものごと一つ一つ、瞬間瞬間に集中して向き合うことが修行につながるのなら、その方がずっと継続しやすく、理にかなっているような気がします。そんな日々修行の第一歩としてもっとも意識を向けやすいものが、掃除や食事作りなどの家事なのかも、と思う今日この頃です。


花祭窯おかみ・ふじゆり(藤吉有里)

「古伊万里」の名で知られる肥前磁器の伝統工芸文化、技術を基にした窯元「花祭窯」のお内儀。おかみとして窯を支えつつ、自らもアートエデュケーターとしてMeet Me at Artを主宰する。

花祭窯(はなまつりがま)
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