その23「腕時計」

こんにちは。花祭窯おかみ・ふじゆりです。

身に着けるもので長く使っているものはありますか?わたしは道具はなんでも長く使う性質で、身に着けるものも例に洩れません。靴もバッグも、手入れし修理し、ボロボロになるまで使います。ふだんアクセサリーを着けることはほとんどありませんが、外出時に腕時計をつける習慣があり、その腕時計も長く使っているものがふたつあります。

ひとつは大学4年生の時に大学卒業と就職の記念に、バイト料で自分への贈り物に買ったもの。もうすぐ30年が経ちます。腕時計としては全く高価なものではないにもかかわらず、ずっと動いてくれています。買ったときは、こんなに長く使い続けるとは思っていませんでした。今更ですが、腕時計ってすごいですね。数年前、ちょっと動きが怪しくなったときには、開けてクリーンアップ(掃除)すればまだまだ長く使えると、時計屋さんからお墨付きをもらいました。ベルトの交換によって、手軽にアップサイクルできるのも魅力です。

そんなことを思っていたら、ちょうど届いた英字新聞に「時代を超越したバグダッドの時計修理店」の話題が載っていました。イラクの首都バグダッドにある三世代続く時計修理店のストーリー。店内ところ狭しと「修理を待つ腕時計」で埋め尽くされている様子が写真で載っていました。古今東西、修理しながら受け継いで使われていくものなのですね。わたしの30年など、まだまだ短い方なのかもしれません。

この春、新しい腕時計をひとつ調達することに。誰もがスマホを持ち歩く昨今、腕時計は「外出先で時間を知る」ためだけの道具としては、役割を終えつつあるかもしれません。それだけではない価値を見出すからこそ、腕時計の文化が続いているのでしょうね。今度の腕時計もまた30年、40年、50年と人生を伴走してくれるといいな、と思っています。

<日常の禅語>歩歩是道場(ほほこれどうじょう/ほぼこれどうじょう)

修行の道場を探し求める弟子に対し、師が「あなたの歩く一歩一歩が道場なのですよ」と説いたと。掃除、洗濯、料理作り、後片付け、整理整頓…禅寺で「作務(さむ)」と呼ばれる行いすべてが修行であり、その場が道場であるという教えです。こうして見ると、ふだんわたしたちがしている家事も、作務(修行)そのものといえそうですね。

お茶会前の露地(庭)掃除で、枯山水(かれさんすい=水を使わず石組みによって構成した池)の石をすべて取り出して掃除し、組み直すことがあります。石を並べ直すのに、頼りになるのは自分の感覚。設計図があるものではなく、正解はひとつではありません。池の全体イメージを思い、石一つ一つの大きさや形を確認し、よどみない水の流れを表すにはどう並べたらよいか。惰性で石を並べていくと、最後に石が足りなくなったり、逆に余ってしまったりして、何度もやり直すことになります。少し大きい石もありますので、気が緩むとケガのもとにもなります。

石を並べる一手一手がまさに修行。その瞬間瞬間に意識を集中することの大切さを思い出させてくれる禅語です。


花祭窯おかみ・ふじゆり(藤吉有里)

「古伊万里」の名で知られる肥前磁器の伝統工芸文化、技術を基にした窯元「花祭窯」のお内儀。おかみとして窯を支えつつ、自らもアートエデュケーターとしてMeet Me at Artを主宰する。

花祭窯(はなまつりがま)
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